
| 1961年6月 | 大阪市片江町にて【青木 唯夫氏】が青木鉄工所を創業し関西BSの「ブリジストンタイヤの部品加工」で取引を開始する |
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| 1965年9月 | 浜口工業(株)と取引開始(小松製作所の建設機械部品製造) |
| 1968年3月 | 事業の進展に伴い大阪府東大阪市鴻池町525に工場移転する |
| 1969年5月 | 赤萩フランジ製作所と取引開始 |
| 1970年9月 | 需要増大により新鋭設備を増設すると共に大阪府東大阪市楠根2丁目6-28に工場移転する |
| 1972年2月 | 東洋鋼業工作所と取引開始 |
| 1976年7月 | 扶桑鋼業(株)と取引開始 |
| 1979年3月 | ダイキン工業(株)油機事業部と取引開始 |
| 1979年11月 | 個人経営から青木鉄工所株式会社へ社名変更する |
| 1982年4月 | ダイキン工業(株)ロボット事業部と取引開始 |
| 1986年9月 | 新明和工業(株)航空機事業部と取引開始 |
| 1989年5月 | 松下電子部品(株)FA事業部と取引開始 |
| 1990年2月 | 複合材の加工技術習得のため、研修を開始する |
| 1990年12月 | ジェット旅客機MD-11の量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 1994年10月 | ジェット旅客機B757、B767の量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 1995年3月 | 航空機の機体部品の本格生産を開始すると共にパネルメーカーを目指したShowWindow工場の新社屋を大阪府東大阪市高井田中5丁目7番3号に【(株)アオキ】と社名変更し移転すると共に【青木 豊彦氏】が二代目社長を襲名する |
| 1995年4月 | 三菱重工業(株)三原製作所を取引開始 |
| 1995年6月 | ジェット旅客機B777の試作機量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 1996年9月 | 複合材のクリーンルーム完成し、本格的に複合材加工を開始すする |
| 1997年1月 | BOEING社の認定工場の認定を受ける |
| 1998年3月 | 三次元CAMシステム「SATIS]を導入する |
| 1998年10月 | ダイキン工業(株)化学事業部殿と取引開始 |
| 1999年6月 | ダイキン工業(株)特機事業部 |
| 2000年8月 | 住友精密工業(株)航空宇宙機器生産部と取引開始 |
| 2001年7月 | 救難艇US-2試作機、量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 2002年2月 | 東大阪宇宙関連開発研究会が設立し、青木豊彦が会長に就任する |
| 2002年9月 | 東京大学超小型人工衛星(CUBESAT)のロケット離脱機(T-POD)を共同開発・設計・製作する |
| 2002年10月 | 鉛鋳造機とその金型の製造を開始する |
| 2002年12月 | 東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA設立)、青木豊彦が初代理事長に就任 |
| 2003年6月 | ロケット離脱機(T-POD)が打ち上げられ、分離に成功する |
| 2003年7月 | ISO9001:2000を取得する |
| 2003年8月 | マグネシウムの切削加工技術の研究開発を開始する |
| 2003年12月 | ミツトヨ製三次元測定機を導入する |
| 2004年10月 | 輸送機C-X試作機、量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 2005年2月 | SOHLA理事長を青木豊彦が退任 |
| 2005年3月 | 宇宙航空研究開発機構(JAXA)との取引開始 |
| 2005年4月 | 東大阪市モノづくり親善大使に青木豊彦が拝命される固定翼哨戒機P-X試作機、量産機部品を受注し、生産を開始する |
| 2005年9月 | 近畿経済産業局の地域新生コンソーシアム研究開発事業「マグネシウム合金を使った生体完全吸収性ステント開発」を大阪大学医学部との共同開発が採択される |
| 2006年3月 | 近畿経済産業局の戦略的基盤技術高度化支援事業「炭素繊維強化熱硬化性プラスチック加工技術開発」を弊社単独で認定を受ける |
| 2006年10月 | ジェット旅客機B787の試作機、量産機部品(金属部品と複合材加工部品)を受注し、生産を開始する |
| 2007年4月 | 全日空整備(株)と取引開始 |
| 2007年5月 | 航空機業界の特殊工程認定機関(PRI)からのNadcap認定を取得する |

